こんにちは、ノーシュン(@nonoblog0919) です!
今回は教養系! 西洋の美術史について解説していきます。
美術って専門的に学ばないと難しそうですし、勉強したのも中学・高校の頃なので覚えていませんよね。。
今回は、美術がどのように変わってきたのかという大きな流れを始め、絵画や画家の面白いエピソードなどを交えていきます!
目次
美術史の流れ
美術史は大きく分けて6つの時代区分に分けることができます。
美術史の時代区分
① 原始・古代の美術
② 中世美術
③ ルネサンス美術
④ バロック・ロココ美術
⑤ 近代美術
⑥ 20世紀と現代の美術
*時代区分には諸説ありますが、今回は美術検定の公式テキストの区分を参考にしています。
原始・古代の美術
まずは原始・古代の美術!
原始とある通り、狩りで生活をしていた時代においても美術品が見られます。
下の画像はオーストリアで発見された『ヴィレンドルフのヴィーナス』です。
この頃の美術品は、獲物を捕まえられるように祈って洞窟内に壁画を描いたり、子孫繁栄を願い女性の形をした像を作ったりと呪術的な願いを込められているものが多いと考えられています。
Plp, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で
文明の美術
様々な地域で文明が生まれ始めます。現在のイラクにあたるメソポタミア文明、エジプト文明などあげるとキリがないですが、美術で特に後世にも影響を与えたのがギリシャ文明です。
ギリシャ文明
ギリシャ各地に散らばる都市国家(ポリス)をアレクサンドロス大王が統一することを機にギリシャ文化は大きく広がります。
この時期の美術は、神が人間と同じような見た目をしていると考えられたため、一気に人間を模した作品が作られるようになります。
特にギリシヤ文化の後期にあたるヘレニズム文化は激しく、感動的な動きに溢れた作品が印象的です。
中世美術
中世の美術を一言で表すと"キリスト教美術"です。
今では世界中で信仰されているキリスト教ですが、中世ではその考えが受け入れられず、迫害を受けている時代がありました。ひっそりとキリスト教が信仰を続ける中、313年にキリスト教が国教化されたことを機にキリスト美術は盛んになっていきます。
この時期の美術の多くは建築に表れていますね。
ゴシック様式のノートルダム大聖堂 (フランス)
絵画でいうとモザイク画が多く見られます。
モザイク画は色の付いた石やガラスを小さく砕いたものを壁に埋め込みながら描かれました。
中世の美術は2~15世紀とかなり長いですが、いわゆる著名な画家はこの時代にはまだ生まれていません。次に説明するルネサンスで大きく美術の動向が変わっていきます。
ルネサンス美術
15~16世紀にかけてルネサンス美術が栄えます。ルネサンスとは「再生」を意味します。これまで宗教画がメインとなり、キリスト教によってモノの見方が制限されていましたが、改めて原点、すなわちギリシャやローマの古典的な美術に立ち返ろうとしたのです。
絵画の特徴としては「人文主義」の精神が現れています。人間であることの素晴らしさに立ち返ろうとした時代でした。
ルネサンスは時代や地域によって分類されますが、始まりはイタリアのフィレンツェでした。
初期ルネサンス
銀行業を営むメディチ家が財を成し、芸術家の輩出をフィレンツェにて後押ししました。
初期ルネサンスは建築・絵画・彫刻の3つの分野で革新的な指導者が現れました。それぞれブルネレスキ、マザッチョ、ドナテッロです。
<ルネサンスの指導者たち>
建築・・・ブルネレスキ
絵画・・・ジョット
彫刻・・・ドナテッロ
ブルネルスキがドーム部分の改修に携わったサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ドナテッロ, CC BY-SA 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で
盛期ルネサンス
初期ルネサンスでは、一般的に知られている作品があまり出てきませんでしたね。でも大丈夫! 盛期ルネサンスはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった名匠たちが次々に輩出されます。
これまでのルネサンスの中心はフィレンツェでしたが、海上貿易が盛んになったことで芸術の舞台はヴェネツィアへと移ります。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
まずは、レオナルド・ダ・ヴィンチです。
彼は "見たものしか信じない"というスタンスを徹底しました。考えてみると、これまでの絵画はどれも線的で輪郭線がはっきりとしていますよね。
ダヴィンチはそこで線を描かずぼかすことで輪郭線を表現しました。
ダ・ヴィンチは絵画だけでなく、建築学、数学、天文学など様々な分野を研究しました。人体を正確に描くために死体解剖したとさえ言われています。
ミケランジェロ
ミケランジェロも彫刻、絵画、詩など広い分野で才能を発揮しました。
彼は自身を彫刻家であると言い張っていましたが、絵画も素晴らしい!
彫刻としてはダヴィデ像が有名ですね。
この作品6mもあると言われています。彼は88歳で亡くなるギリギリまでノミをふるっていました。
ラファエロ
最後はラファエロです。彼は37歳と若くして亡くなりましたが、今でもその作品は多くの人から支持されています。
ヴァチカン宮殿の壁面に描かれた本作品には、様々な登場人物が描かれています。ギリシャの哲学者のプラトン、アリストテレス、ソクラテスを始めゾロアスター教の開祖であるゾロアスター、マケドニアの王であるアレクサンドロス大王まで。総勢50人を超える古代の学者が描かれていると言われています。
ラファエロは聖母子像を多く描いたことで有名です。
中でも有名なのが下の『小椅子の聖母』。
この作品、街中で見かけた美しい母親を咄嗟に描こうとしたラファエロが、キャンバスを持っていなかったために近くにあったワインの樽を壊して蓋に描いたんだとか笑
バロック・ロココ美術
新航路の発見によって交易の中心がイタリアから他の国に移っていきます。スペインやフランス、宗教改革の波が訪れたオランダやドイツの国力は増し、絵画の形も徐々に変わっていきます。この時代ではこれまでキリスト教を題材としていた絵画が一気に庶民的なものへと移っていきます。
バロック美術において象徴的なのがオランダ、
その後のロココ美術においてはフランスが時流を表しています。
時代区分で言うと
16世紀後半~17世紀をバロック美術、18世紀の美術をロココ美術と言います。
バロック美術
バロック美術の特徴はなんと言っても絵画のジャンルが大きく増えたことです。これまでは宗教画や神話画だったのが、食器や果物を描く「静物画」、庶民の日常生活などを描く「風俗画」や風景画へと広がっていきます。
静物画
イタリアのカラヴァッジョは静物画の先駆者と言われています。
静物画は一見するとただの物を描いているようですが、「儚さ」や「虚しさ」を暗示しています。*このような主題をヴァニタスと呼んだりします。
ヴァニタスは骸骨や砂時計といった(死)を暗示するアイテムによって表現され流こともあれば、下の作品のようにみずみずしい果物(生)と枯れた葉(死)を並べることで死生観が込められることがあります。
風俗画
日常のワンシーンを描いた物を風俗画と呼びます。イタリアの画家であるカラッチの『豆食う男』は史上初の風俗画と言われています。
風俗画はその後、オランダへと一気に広がりました。
フェルメールやフランス・ハルスなどが代表的な画家として存在しました。
風景画
意外なことにバロック美術を迎えるまで風景画は描かれていませんでした。これまでは宗教の背景に過ぎない風景が主題となったのは17世紀のオランダでのことです。貿易が発達したことにより商人が財を成し、芸術にお金をつぎ込むことになります。
ロココ美術
バロック美術はフランスのルイ14世により良くも悪くも厳格な表現が多く見受けられました。ルイ14世の死去と共に生まれたのがロココ美術です。ロココではこれまでの窮屈な状況からの反動として自由で派手な表現が特徴の美術です。
バロックと比べると色使いが華やかなのがわかりますね。特にぶらんこは愛人を乗せ、彼女の脚が見える位置に依頼主を描くというかなりきわどい表現がされた作品でした。
この時代でも、女性の裸体などの官能的な表現は神話や聖書を題材にしているものだったので、いかに特異な作品であったかがわかります。
近代美術
18世紀末~19世紀の美術を近代美術と言います。フランスを中心とした新古典主義・ロマン主義を始めとし、皆さんが大好きな印象派までが含まれます。
新古典主義
この時代では南イタリアのポンペイ遺跡などの発掘をきっかけに、古代ギリシア・ローマの美術全般についての研究が盛んになりました。
古代への羨望が高まるとともにフランスで革命が起きました。
これまでは王や貴族が権力を持っていたのが、市民へと広がりを見せた転換点でもあります。
芸術においても宮廷を中心としたロココの繊細な美術はだらしないものと見なされ、多くの芸術家が従来の美術からの脱却を目指し始めます。
特に有名なのが、ダヴィッドとアングルです。
ダヴィッドは古典に倣った作品を描きましたが、ナポレオンの作品を描いたことでも有名です。
ダヴィッド『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠』
ナポレオンの没落と共に亡命したダヴィッドの後継者となったのがアングルです。
後ほど説明するロマン主義に対抗するために、新古典主義の代表として期待されていましたが、彼の『グランド・オダリスク』は大きな批判を浴びます。
アングル『グランド・オダリスク』
ロマン主義
ナポレオンの敗北と共に新古典派主義は衰退していきました。
ちょうどその頃、フランスでは遠征を機にイランやイスラヘルなどのオリエント世界への関心が高まっていき、より自由な表現を画家たちは求めます。
この時期で覚えておくべき人物はジェリコーとドラクロワ。
ジェリコーは若い頃からナポレオン軍の兵士や馬を描いていましたが、下の『メデューズ号の筏』でロマン主義の先駆者としてその名を残します。
ジェリコー『メデューズ号の筏』
ドラクロワはジェリコーの友人でした。
彼は絵画を政治や思想を絵画に反映することを嫌ってましたが、フランスで起きた七月革命を機に感情の赴くままに描いていきます。特に有名なのが『民衆を導く自由の女神』です。ロックバンドのColdplayがジャケットで使っていたので知っている人も多いのでは?
ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』
他にもイギリスのフュースリやブレイクなど多くの画家がこの時代に生まれました。イギリスでは文学を主題にした作品、詩や聖書の挿絵など、ロマン主義では様々な表現方法が確立されたと言えます。
写実主義
これまでの絵画は現実世界に必ず存在していたものではなく、理想の世界を絵画を通して表現してきました。故にダイナミックな構図・色合いが使われていたわけですが、写実主義では見たものをそのまま描くことを目的としています。こういった写実主義への動きが後の印象主義へとつながっていくのです。
代表的な画家はクールベとミレー
クールベは労働者や農民などの身近な生活を社会的抗議の意思を込めて描きました。当時の芸術界ではかなり攻めた作風であったため、批判も奥1855年のパリ万博では出品が拒否されることに。自信家であったクールベは、万博の向かいの建物を借り、なんと自費で個展を開催! これが世界初の「個展」となりました。
クールベ『オルナンの埋葬
クールベの故郷であるオルナンで行われた葬式を描いた作品。
縦3m×横7mという巨大なキャンバスに描かれたので、登場人物はみな等身大! リアルな表現を好んだため、司祭も美化されることなく描かれましたが、このような質素な作風がサロンの批判の的に。そのことから、モデルとなったオルナンの人々も怒りを露わにしクールベは故郷に帰れなくなってしまいました。
お次はミレー。ミレーもまた農民の生活はや姿に主題をおいた画家でしたが、元々女性のヌードや男女のまぐわいを描いていた画家でした。ある画廊でミレーのことを「裸の女の尻や胸ばかりを描いている画家」と聞いて農民画を描くことに転向したんだとか。
ミレー『落穂拾い』
印象主義
みなさん大好き印象派。
名前を知っている画家はだいたいこの時代の人だったりしますよね笑
印象派はこれまでの絵画表現と比べて光による色の微妙な変化を意識しました。
元々はマネが大きく影響を与えた印象主義ですが、のちにポスト印象主義と言った個性的な芸術へと繋がっていきます。
クールベやミレーがもたらした写実主義の流れに感受性が足され、19世紀後半に始まるこの印象主義へと繋がっていきました。今では西洋画の代表格とも言える印象主義・印象派ですが、当時の人はその芸風を受け入れられませんでした。印象派」という名前も批評家のルイ・ルロワが「印象主義の展覧会」と皮肉を込めて名付けたことが始まりです。
印象派の先駆けとなったスキャンダラスな作品。
ラファエロの作品をモチーフにした今作でしたが、物議を醸したのは裸の女性。当時は宗教画や神話が以外で裸の女性を描くのはタブー。しかもこの女性は娼婦がモチーフ。
世間からの批判を浴びた今作ですが、後の印象派の画家たちに大きな影響を与えました。
特筆すべきは「筆触分割」と呼ばれるその技法。従来のように絵具を混ぜて固有の色を作るのではなく、隣同士に色を配置することで変化する光の輝きを表現しました。
ポスト印象主義
ポスト印象主義は後期印象主義という意味です。
ただし、マネやモネなどの前期とは恐ろしく画風が異なります。
彼らは光を意識するという共通項がありましたが、ポスト印象主義の画家たちは印象派を越えようと新たな芸術をそれぞれが模索していきました。わかりやすいのが、ゴッホ、セザンヌです。
ゴッホ
『ひまわり』が特に有名なゴッホですが、彼の人生は壮絶でした。精神病に苦しめられ、自身の耳を切り落とすことも。わずか37歳にして自殺。この世を去ってしまいます。彼の不安に満ちた心理状態を絵画を通して表現しました。
『1889年の自画像』 はゴッホが入院していた時に描かれた作品。自殺直前のためか背景の渦巻模様とゴッホの険しい表情は妙な緊張感を鑑賞者に与えます。
『夜のカフェ』では、緑と赤といった補色が組み合わされています。色環の中で正反対に位置する2色なので、観ている人に強烈な印象を与えます。明るい色にも関わらず退廃的な印象があるのも特徴です。
フィンセント・ファン・ゴッホ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
セザンヌ
セザンヌは初めて絵画のモチーフを円形や三角形などの形に簡略して描いた画家です。
写実性を取り払い、単純な形に置き換えたこの試みは後のキュビスムへと繋がっていきました。
エクサン・プロヴァンスの南西のベルヴという高台から、サント・ヴィクトワール山を描いた風景画。
松を画面の手前に大きく描いた構図は日本の浮世絵の影響によるもの。描くモチーフの形態を様々な角度から観察し、丸や三角などの単純な形に置き換えても、配色や独自の空間表現により美しさが感じられる作品になっています
20世紀と現代美術
少し飛んで20世紀の美術について。
※調子に乗って細かく書きすぎたので、19世紀に活躍したラファエル前派やナビ派などの画家は別の機会で解説。
この時代の美術は個性的と言わざるを得ないでしょう。これまでの絵画の常識を破壊し、絵画でしか作ることのできない表現や独自の技法が次々と生まれていきます。
全てをカバーすることは控えますが、それらを大別するならフォーヴィスム、キュビスム、ダダイスム、シュルレアリスムの4つは欠かせないでしょう。
フォーヴィスム
フォーヴィスムはその強烈な色彩、大胆な筆使いを「野獣(フォーヴ)」と批評家が嘲笑したことが由来となっています。
代表的な画家はマティス、ルオー、ヴラマンクなど。
マティス『赤のハーモニー』
フォーヴィスムには明るい色や細部の簡略、平面的な空間描写がみられます。本作は全体の4分の3以上を明るい赤で塗られていて、マティス独特の絵画表現となっています。
元々は緑を基調とした"青いハーモニー"だったらしいですが、完成形に納得いかなかったマティスが赤に塗り直したんだとか。
キュビスム
続いてキュビスム。フォーヴィスムが色使いに対しての革命だったのに対し、キュビスムは形態や構成の変化に取り組みました。キュビスムで有名な画家はピカソ。
絵画のタイトルにもなっているゲルニカはスペインにある小さな村の名前。
この村は1937年に第二次世界大戦下でドイツ空軍に無差別攻撃を受け、多くの犠牲者を出しました。この訃報を聞いたピカソは怒りを露わにし、幅7m以上にもなるこの作品を描きあげたと言われています。
ダダイスム
世界大戦は人々を不安や恐怖に陥れました。一方で既存の社会体制や政治を疑問視する声もあり、芸術界においても攻撃的・批判精神に富んだ活動を始める人が出てきます。これらを総称して「ダダイスム」と呼びます。
ダダイスムの中で特に有名なのがマルセル・デュシャンの『泉』。これまでの常識から逸脱したこの作品は後のシュルレアリスムへと繋がっていきました。
これまでの作品とは一線を画しているこの作品。
なんとデュシャンは普通に売られている既製品(=レディメイド)の便器に署名をしただけのものを展覧会に出品しました。何でも出品して良いと謳っていた展覧会はこれを拒否。どこからが芸術作品なのかを考えさせてくれる作品です。
シュルレアリスム(超現実主義)
パリのダダ運動に参加した詩人のアンドレ・ブルトンは芸術に新たな可能性を求め始めます。人間の意識の裏にある夢や無意識といった世界を芸術において開放しようとしたのです。要するにこの世でありえない事象を描き始めます。(こうなってくるとやりたい放題ですね笑)
シュルレアリスムには様々な表現技法があります。例えば「自動記述」= (オートマティスム)は、事前に構想することなく記述を始めてみて絵画を作るというもの。これもまた無意識下だからこそ生まれた作品と言えますね。
ぐにゃぐにゃとやわらくなった3つの時計が印象的な作品。
妻が食べていたカマンベールチーズが溶けている様子から着想を得たと言われていますが、もう1つ有力な考察があります。
ダリは幼少期から性的コンプレックスを抱いており、勃起不全になってしまいます。ゆえに「硬さ」や「柔らかさ」に執着してたダリは時計を柔らかくしたとも言われています。
おわりに
いかがだったでしょうか!
美術はどうしても難しいイメージがありますし、まとまった時間がないと勉強する気にならないですよね。この記事を機に美術や絵画への関心が深まれば嬉しいです。
どうしても大枠の説明になってしまったので、時代ごとの細かい説明はまたの機会に!
返信を残す
Want to join the discussion?Feel free to contribute!